なぜ作曲家の僕が
リトミックを?
― 100年前の違和感と、今の違和感 ―
技術的には高い水準にある。それなのに、本当に大切な「感じ取る力」が育っていない。100年以上前にダルクローズが抱いた違和感は、現代の音楽やバレエ、ダンスの世界にもつながっています。
まずは、簡単な自己紹介から
今回はまず、子供の頃の話は少ししたのでそこは省くとして…、簡単に自己紹介をしたいと思います。
高校生の時のバンド活動の一環として始めた作曲をきっかけに、日本とドイツの音楽大学にて作曲を学んだのち、今は作曲をはじめとして演奏・指導、また公演の企画や運営をしています。
近年は『音楽をより色んな角度から体感したい』という思いから、ダンスやバレエ、映像や美術、またパフォーマンスや演劇など、音楽以外の分野とのコラボレーションにも積極的に取り組んでいます。
「なんで作曲家が、幼児教育のリトミックを?」
――前回までの話も含めて、ここできっと改めて「…なんで作曲家が幼児教育のリトミックの話をしているの…?」と思われる方もいるのではないでしょうか。
きしし、そうでしょうそうでしょう。
そりゃそうだ。
でもその説明のために、ここから『リトミックがどういう意図で作られたか』という紹介とともに『なぜ僕がリトミックに携わるようになったのか』について、お話させていただきます。
教育関係の方はもちろん、その認知度から、子育てをしていらっしゃる保護者の方もきっと一度は聞いたことがある『リトミック』。
あまり知られてはいないのですが、リトミックを考案したスイス人のエミール・ジャック=ダルクローズ(1865-1950)という方、実は作曲家なのです。音楽家であることは想像に難くないとしても、作曲家が考案した、ということについては、意外に思われる方もいるかもしれません。
よしではここで、僕とダルクローズの共通点を…!と言いたいのですが、生まれも育ちも大違い。
彼は叔父がヴァイオリニストで、家族が集まれば合奏が始まるような、音楽に囲まれた家庭育ち。さらにはダルクローズ本人も、6歳や7歳の頃にはもう作曲をしていたそうな。
もう絵に描いたような音楽家の家系ではないか、ぜーーんぜん、全く違う。
作曲家というところくらいしか共通点が見当たりません。ですが、まぁまぁ。面白いのはここから。大人になってたどり着いた「違和感」の話です。
ダルクローズが気づいた、ある違和感
ダルクローズがリトミックを作ったきっかけは、彼が音楽院で和声学(和音の理論)を教えていた頃のことだと言われています。
彼は学生たちを見ていて、あることに気づいた。
『彼らは技術的にはとても高い水準にある。それなのに、音楽家にとって本当は一番大切なはずの、音を聴き取り、感じ取る力が、どうも育っていない――』と。
…ほう。
これは今も昔も、きっとさまざまな業界で、同じような現象が起こっているように思うのです。ダンスやバレエの世界、そして音楽の世界ももちろんのこと。
技術は、表現したい「何か」のためにある
技術は不要だ!とは思いません。技術は必要なものだと思います。
しかしながらそれは、感情や感覚、はたまた疑問や記憶であったり、景色だったり、もっといえば音でも色でも形でも匂いでも…というような、自分の中に抱いた『何か』を表現する時/伝える時に、はじめて必要になってくるもの、もしくは逆にその『何か』自体を、技術の力でもってさらに大きく膨らませたり、深めたりするためのもの…だと思うのです。
ところがしばしば順番が逆になり、「技術的にはとても巧い。でも肝心の『何か』が感じられない、見当たらない」ということが起きてしまう。結局あなたは何を伝えたいの?、というような。
――そんな状態と現象が、100年以上も昔に既に起こっていて、そこに疑問と危機感を感じたダルクローズが、その『何か』を育てるために、リトミックを作った――。
そう考えた時、急にリトミックの理念への共感と共に、自分自身との距離が近く感じられたのです。
ちなみにこのリトミック、当初は音楽を専門に学ぶ学生たちのために考えられたものでしたが、ダルクローズ自身が実践を重ねる中で、これは音楽のためだけのものではない――集中力や、人と合わせる力…協調性など、人が育っていくこと全般に関わるものだ、と気づいていき、幼児教育へと広がっていったのだそうです。
一つの違和感を発端とし、最終的にそこまでたどり着いたことには、素直に頭が下がります。
100年前に設計されたものを、現代にどうひらくか
さて。このような理念のもとに生まれたリトミック。技術が先行しがちであるという現象も含めて、現代にも共通する点が多くありつつも――では逆に、当時と今とで「違う点」があるとすれば、一体どんなことでしょうか。
これこそが、僕が『現代版』としてリトミック・ネクストを考えるに至った理由と繋がります。
ダルクローズがリトミックを考えたのは、およそ100年以上前のこと。なんと、レコードがようやく家庭に届き始めた頃の話です。当然スマホもCDも、ましてやカセットテープすらない、はるか昔。音楽を聴くということが、今とはまるで違う意味を持っていた時代です。
その頃に設計されたものを、駅のホームでも、コンビニでも、至る所に音楽が鳴っていて、スマホをちょっといじればいつでも好きな曲が聴けるこの時代に、そのまま当てはめていいのだろうか――?
音楽は、「音楽」の中だけにあるものじゃない
そしてさらにもう一つ。こちらは時代の話ではなく、僕自身がずっと思っていることです。
人の歩き方や、立ち止まる間合い。信号の点滅のリズムと共に、交差点を行き交う人の流れ。風で揺れる木々や、雨が物に当たる音でも。日常のそこかしこに、音楽的なものが既にある。
――音楽は、いわゆる『音楽』の中だけにあるものじゃない。
この感覚は、音楽以外の分野の人たちとの活動の中で、ますます確信に変わっていきました。
演奏の技術や音楽の知識である前に、そういうものを感じ取るアンテナが育つような――もしくは、既に持っているアンテナに自分で気がつけるような――そんな時間や機会を用意できたら…。
――この二つの話を、次回、もう少し書いてみたいと思います。
