『音のない時間』の中で、
僕らは何に気づくのか
~ もともと、そこにあるもの ~
静けさは、何か新しいものを授けてくれるわけではありません。けれど、もともとそこにあったのに、僕らが聞き流していたものへ意識を向ける機会をくれる。今回は、そんな「音のない時間」の中で起こることについて考えます。
「音のない時間」の中で、僕らは何に気づくのか
時代とともに音の環境が変わった今、僕らの耳は「聞き流す」ことに慣れていった――。
だからこそ今、改めて『音の鳴っていない時間』を用意することから始めたい、と前回お話いたしました。
それを踏まえて。
「音のない時間」の中で、僕らは何に気づくのか。
今回はそのお話をしたいと思います。
夜中にふと目が覚めた時。誰もいなくなった教室やスタジオなど。
「静かだな…」と思ったまさにその瞬間に、初めて気が付く音があります。
カチッ…カチッ…と時計の秒針。オーーンとうなる冷蔵庫。近くを通り過ぎる車の音や、服が擦れる音。はたまた自分の呼吸だったり、耳鳴りだったり。
高校生の頃、テストの時間がすごく好きでした
僕で言うと、確か意識した、気がついた(発見した?)のは高校生の頃だったと思うのですが、中間テストや期末テストの時間がすごく好きでした。
静かな教室、ピンと張り詰めた緊張感の中に響く「…カリ…カリカリカリ…」「…カサッ…クシャ…」という鉛筆やシャーペンの音、問題用紙をめくる音。
特に冬なんて、それに混じって「…ズ!……ズズ!」って鼻をすする音が、もう教室のあちこちからバラバラのタイミングで立ち上がるわけです!
さらに教室の隅では、石油ストーブに乗ったヤカンが沸々カチカチいってたりなんかして…!
もう、あれがたまらなく好きで…。
皆が意図して鳴らしているわけじゃない。でも、完全にアンサンブル
ランダムなタイミングで、あちこちから聞こえてくる音。
皆が意図して鳴らしているわけじゃないけど、完全にアンサンブル。
僕は「あずま」なので、苗字のあいうえお順で座る時はいつも教室の窓側、さらには一番前か二番目の列だったんですが、テストの最中もニヤニヤしながら振り向いて教室を見回していました。
「みんな気付いてる?! 面白いよね!」って心の中で言いながら振り返っていたんですが、周りのみんなはそんな音、まーーったく意識していなかったんですよね。
そりゃテストに集中しているんだから当然なのですが…。
でも、その「誰も意識していない音」が、僕にとっては教室いっぱいに鳴り響く、音楽的な体験でした。
その音は、テストが始まってから生まれたわけではない
ここで、大事なことがあると思います。
僕の上記の体験を例にするならば、鉛筆の「カリカリ」も、鼻をすする「ズズ!」も、ストーブのヤカンも――普段から聴いている、知っている音だし、テストの前からとっくのとうに鳴っていて、耳にも入っていたはずなんですよね。
『テストが始まってから初めて鳴った、新しい音』ではない。
その上でさらに言うと、僕の耳が急に良くなったとか、特別な能力が働いた等でも全然なくて、静けさの中で、たまたま僕の意識がその音に向いた――というだけだと思うのです。
つまりは「音のない時間」によって、音に気づかせてもらった。
静けさは、何かを足すのではなく、気づく機会をくれる
静けさは、僕らに何か新しいものを授けてくれるわけじゃない。
でも、もともとあったのに見過ごしていたもの、聞き流して意識が向いていなかったものに、気づく機会をくれる。
「音のない時間」は、無音をつくるための時間ではなく、すでにそこにあるものと出会い直すための時間なのかもしれません。
だからこそ僕らにできることは、聴き方や耳の使い方を「教える」ことじゃない。
皆がもともと持っている感覚に、自分自身で気づいていける――そんな時間と機会を、そっと用意することではないか。
リトミック・ネクストで大切にしたいこと
リトミック・ネクストで大切にしたいのは、まさにここです。
何かを新しく与えることよりも、子どもたちがすでに持っている感覚に、自分自身で気づいていける場をつくること。
音を「聞かせる」ことから始めるのではなく、静けさの中で、身のまわりの音や、自分の身体の内側にある感覚へ意識が向く時間を用意すること。
ここまで数回、僕自身の話や考え方ばかり書いてきましたが、次回は少し趣向を変えて、実際のリトミック・ネクストの中で、どんな活動を紹介しているのか――具体的な中身について、少し書いてみようと思います。
