バレエ指導における
「正しい」「本物」「本場」を疑ってみる
「それが正しいバレエです」「本物のバレエを教えたい」「本場ではこうしています」。 バレエを大切にしているからこそ、こうした言葉を使いたくなることもあると思います。 そのうえで、あえてその言葉の奥にある意味を、皆さんと一度考えてみたいと思います。
バレエには長い歴史があり、先生から生徒へ、大切に受け継がれてきた技術や様式があります。
その積み重ねがあるからこそ、私たちは今もバレエを学び、教えることができます。
だから、ここでお伝えしたいのは 「昔の教え方が間違っていた」とか、 「伝統を変えたほうがいい」ということではありません。
ここで考えたいのは、これまで受け取ってきたものを大切にしながら、 今、目の前にいる生徒のために、 少しだけ問いを持ってみることです。
その「正しさ」は、この生徒にも合っているだろうか。 その「本物」という言葉は、誰かを遠ざけていないだろうか。 その「本場」の方法には、どんな背景があるのだろうか。
「正しい」は、一つなのだろうか
たとえば、ターンアウト。
「もっと開いて」「180度を目指して」。 ご自身も、そう教わりながら上達してきたという先生は少なくないと思います。
その経験は、先生ご自身の身体と時間のなかで積み重ねられてきた、 大切な財産です。
一方で、目の前の生徒を見ると、 骨格も、股関節の形も、可動域も、筋力も、 一人ひとり違います。
ある生徒にはとても役立つ声かけが、 別の生徒には少し合わないこともあります。
10歳の子どもと、20歳のプロダンサーと、 60歳からバレエを始めた人でも、 必要な配慮は自然と変わってきます。
「私はこう習った」という大切な経験を、 目の前の生徒に合う形へどう渡していけばよいでしょうか。
ここで「正しさ」を手放す必要はありません。
大切なのは、その正しさを、 より丁寧に扱ってみるということだと思います。
より丁寧に考えてみる。
身体に対してなのか。 作品に対してなのか。 様式に対してなのか。 その年齢に対してなのか。 その生徒の目的に対してなのか。
同じ「正しい」という言葉でも、 相手や目的、状況が変われば、 その意味は少しずつ変わります。
だからこそ、「正しい」という言葉のあとに、 この生徒にとってはどうだろう。 今はどうだろう。 と、もう一つ問いを足してみる。
それだけでも、指導はぐっとやわらかく、 そして深くなっていくのではないでしょうか。
「本物」という言葉を、少し丁寧に考えてみる
「本物のバレエ」。
この言葉も、バレエの世界ではとても強い力を持っています。
- 有名な学校で学んだ
- 有名なバレエ団に所属していた
- 海外で踊っていた
- 著名な教師から習った
もちろん、それらはとても貴重な経験です。
長い時間をかけて身につけた技術、 その環境でしか得られない感覚や文化には、 大きな価値があります。
その価値を大切にしながらも、 「本物」という言葉を使うときには、 ほんの少しだけ気をつけてもよいのかもしれません。
なぜなら、その言葉は意図せず、 別の経験を積んできた先生や生徒を、 外側に感じさせてしまうことがあるからです。
「本物」という評価の外側にいる人たち
海外で踊った経験がなくても、 丁寧に学び続けている先生がいます。
プロダンサーとしての経歴とは別の場所で、 子どもの成長を長く見守ってきた先生もいます。
有名な先生から学んだ経験だけでは測れない、 教える力や寄り添う力もあります。
踊る能力と、教える能力は同じではありません。
高い技術を持つことと、 子どもの発達を理解することも同じではありません。
作品を深く理解することと、 安全に身体を導くことも、 別の専門性です。
「目の前の人に何を渡せるか」。
教育という視点に立つと、 「自分が何を経験したか」に加えて、 何を学び続けているのか、 何を根拠に教えているのか、 何を知らないのか、 必要なときに誰と連携できるのか、 といったことも重要になります。
「本物かどうか」と一つの物差しで決めるより、 その先生が何を学び、 何を大切にし、 どのように生徒と向き合っているのかを見ていく。
その方が、バレエを教えるという仕事の豊かさを、 より丁寧に受け止められるのではないでしょうか。
「本場」とは、どこなのだろう
そして、もう一つ、よく耳にする言葉があります。
「本場ではこうです」という言葉です。
海外で学んだ経験や、 その土地で受け取った文化を伝えることは、 とても大切なことです。
フランス、ロシア、イギリス、イタリア、デンマークなどなど。 バレエには、それぞれ異なる歴史と教育文化があります。
バレエは、一つの場所に固定されたまま 発展してきた文化ではありません。
人が移動し、技術が移動し、作品が移動し、 音楽や美術、社会の価値観と交わりながら、 さまざまな地域で姿を変えてきました。
だからこそ、「本場ではこうする」と聞いたとき、 その先にある背景まで一緒に知ることができたら、 学びはもっと深くなるのかもしれません。
どこの国なのか。
どの学校なのか。
どの時代なのか。
どの作品なのか。
どの教師なのか。
「本場」という大きな言葉の中にも、 実はたくさんの違いがあります。
「なぜ、そこでその方法が生まれたのか」。
歴史がある。 身体観がある。 教育制度がある。 社会背景がある。 劇場文化がある。
そうした背景まで見えてくると、 海外の方法を単に模倣するのではなく、 なぜその方法が存在するのかを理解できるようになります。
背景を知ることで、 「同じようにしなければ」と考えるのではなく、 日本で、今、目の前にいる生徒へ、 どう届ければよいかを落ち着いて考えられるようになります。
受け継ぐことと、再現することは違う
伝統を大切にすることは、とても大事です。
そして、伝統を大切にすることと、 過去をそのまま再現することは、 少し違うのかもしれません。
もしバレエが数百年間、 まったく変わらない文化だったなら、 今、私たちが踊っているバレエそのものが 存在していなかったはずです。
バレエは、変わりながら受け継がれてきました。
- 技術は変わってきました
- 舞台は変わってきました
- 衣裳は変わってきました
- 身体についての知識も変わってきました
- 子どもや教育に対する社会の考え方も変化してきました
だから、伝統を守るということは、 「昔と同じことをする」ことだけではなく、 その中にある大切なものを見つけ、 今に合う形で渡していくことでもあるのだと思います。
何を次の世代へ渡すのかを考え続ける。
その判断には、歴史を知ることも必要です。
なぜその方法が生まれたのか。 何を目的としていたのか。 当時と今では、何が変わったのか。
背景を知らずに形だけを残すことと、 背景を理解したうえで受け継ぐことは、 同じ「伝統を守る」でも意味が大きく異なります。
「正解を知っている先生」より、 「考え続けられる先生」へ
先生という立場にいると、 「答えを持っていなければ」と感じることも あるかもしれません。
でも、すべてを知っている必要はないのだと思います。
目の前の状況を見ながら、 分からないことは調べ、 必要であれば誰かに尋ね、 その都度考えていく。
そうした姿勢もまた、 教師としての大切な力ではないでしょうか。
例えば、こんなとき
この子には、何が必要なのだろう。
今、この動きを続けてもよいのだろうか。
自分の専門だけで判断してよいのだろうか。
これは技術の問題なのか、 身体の問題なのか、 それとも別の背景があるのだろうか。
わからないことがあれば調べる。
医学、心理、栄養、発達、歴史、音楽など、 自分とは違う専門性を持つ人の知識に耳を傾ける。
そして、 「私はこう習った」と 「この生徒には何が適切なのか」を分けて考える。
「分からないことがある」ことを弱さにせず、 学び続けるきっかけにしていく。
そう考えると、教師という仕事は、 教えるだけではなく、 自分自身も学び続けられる、 とても奥行きのある仕事に見えてきます。
教えるときに、小さな問いを持ってみる
「正しい」を問い直すことは、 正しさを否定することではありません。
「本物」を見つめ直すことは、 伝統を軽く見ることでもありません。
「本場」を考え直すことは、 海外から学ばないということでもありません。
どれも、これまで大切にされてきたものを、 もう少し深く理解するための問いです。
言葉を、問いに変えてみる
「正しいから」ではなく、 なぜ?
「本物だから」ではなく、 何をもって?
「本場ではそうだから」ではなく、 どこで、いつ、なぜそうなったのか?
そこに小さな問いを添えてみる。
こうした問いを持つことで、 バレエを教えるという仕事は、 技術を伝えることに加えて、 身体を知り、文化を知り、 一人ひとりの人を知る仕事へと、 少しずつ広がっていくのではないでしょうか。
問い続けることも、伝統を大切にすること
バレエという文化を大切にしたい。
そう願う気持ちは、 きっと多くの先生に共通しているものだと思います。
だからこそ、 過去から受け取ったものを大切に抱えながら、 それを次の世代にどのように手渡していくかを 考えていけたらと思います。
必要なら問い直し、学び直し、更新していく。
「正しい」「本物」「本場」という言葉は、 長い文化を短い言葉で伝えるために、 とても便利な言葉でもあります。
だからこそ、その言葉を否定するのではなく、 ときどき、その奥にある背景まで 一緒に思い出してみる。
自分が受け取ってきたものを尊重しながら、 目の前の生徒を見ること。
そして、その生徒にとって届きやすい形へ、 少しずつ言葉や方法を整えていくこと。
「疑う」というよりも、 丁寧に見つめ直してみる。
そんな小さな問いの積み重ねが、 バレエの大切なものを、 次の世代へより豊かに手渡していくことに つながるのではないでしょうか。
「正解を覚える」から、 「判断できる」指導へ
バレエ安全指導者資格®では、 解剖学、整形外科学、生体力学、栄養学、 心理学、指導法などを横断し、 目の前の生徒に合わせて考え、 判断するための土台を学びます。
